これを読んで何がわかるの?

私も、逆の立場ならきっと同じように感じます。

「この人は何者なんだろう?」「信頼できるんか?」「怖いな、、」

だからこそ、このページでは飾らず、ありのままの私の人生を言葉にしました。

うまくいかなかったこと、悔しかったこと、迷い続けた時間も正直に書いています。

ごく普通の21歳の大学生が、
それでも「人の心に寄り添う仕事をしたい」と本気で考えている理由。

そして、どうして今、『よりそう君』という活動をしているのか。

もし読み終えたあと、
「この人、ちょっと気になるな」「話してみてもいいかも」と
ほんの少しでも感じてもらえたなら、それが私にとって何よりの喜びです。

はじめまして

はじめまして。
「よりそう君」を運営しています、田中陽貴(たなか はるき)と申します。

現在、岡山大学工学部3年生(21歳)
主に化学や情報を学びながら、日々勉強と実践の両輪で過ごしています。
気づけば人生の1/5が過ぎ、少し焦ってきました。(笑)

出身は、いつも驚かれるのですが――和歌山県です。
「なんでそんな遠くから岡山に?」とよく聞かれます。
理由は……ちょっと恥ずかしいのですが、共通テストの点数が足りなかったから。
そんな、ペラペラな理由です(笑)。

でも、結果的にこの岡山という地で、かけがえのない人や出来事に出会い、
自分の人生の方向が大きく変わりました。

小学生時代 ― 好奇心がすべての原点

昔から何にでも興味を持つ子どもでした。

サッカー、昆虫・魚・鳥、トミカ、レゴ 、工作などなど、、、
小学1年生から兄の影響でサッカーを始め、そこから高校2年生までサッカー一筋。
サッカーを通して、努力する楽しさや仲間と協力する喜びを学びました。

小学5年生のとき、生徒会長として運動会や学校行事のたびにみんなの前で挨拶をする役目を担いました。
原稿を見ずに話せるように毎回前夜はドキドキしながら暗唱練習していたのを覚えています。

当時の僕には初めての経験が多く、先生に怒れしんどい時もありましたが、
それでも、人の前に立って話すやりがいを強く感じました。

でも生徒会に入って、みんなで意見を出し合い、新しいアイデアを生み出すこと。
そうした“挑戦する時間”が何よりも好きでした。

余談ですが、私はカブトムシ、川魚(オイカワ・ギギ・タナゴ・金魚・メダカ・クサガメ・エビ・ドジョウ)まだまだ多くの生き物を自分で捕まえては飼っていました。特に思入れが深いのは幼稚園のころ捕った金魚で、もう15年以上、今も実家で一緒に元気に生活しています。

レゴブロックも僕の青春の一部です。夜通し組み立てては壊し、また作る。
「何かをつくる」ということは、小さな頃から私の心をワクワクさせてくれるものでした。

母と、「これまでに買ったレゴを全部集めると、総額いくらになるのかな(笑)」と話したほどです。

母は、自分の服やほしい物を我慢してまでも、いやな顔一つせず私のためにお金をかけてくれる人です。

あの時、「このレゴが欲しい。」とお店で言って買ってくれた母には今でも感謝しています。

稼げるようになったら、両親にいつか旅行をプレゼントしてあげたいなと密かに考えています。(笑)

高学年からは地元の学習塾に通い始め、中学受験を目指しました。
学校に行って、サッカーして、塾に行って――そんな日々。
このときも兄の背中を追いかけていました。
中学受験は私にとって、初めての「大きな挑戦」でした。

中学生時代 ― うまくいかない日々と支えになったサッカー

無事に県内の中高一貫校に合格。
周囲からは「すごいね」「頑張ったね」と言われました。
けれど、そこからの日々は、思い描いていた「成功の延長線」ではなく、
まるで坂道を転がるような「試練の始まり」でした。

勉強は嫌いではありませんでした。
むしろ、課題も丁寧にこなし真面目に取り組むタイプでした。
けれど、その学校では“真面目”だけでは通用しませんでした。
周りは、努力という言葉が必要ないほど自然に結果を出すような生徒ばかり。
私は、どれだけ時間をかけても思うように成績が伸びず、
テストが返るたびに自分の名前を下から探すようになりました。

次第に、授業が怖くなりました。
当てられたくない、間違えたくない、笑われたくない。
ノートを取るふりをしながら、心の中では「自分には向いていない」と思い始めていました。

でも、そんな自分を繋ぎとめてくれたのが――サッカーでした。

グラウンドに出ると、勉強も成績も関係ない。
ただ、ボールと仲間と、風の音だけがある。

試合の日は朝早く起きてユニフォームを着ると、
胸の奥が熱くなり、「今日もやってやる」と心が前を向きました。
学校では目立てなくても、グラウンドの上では、走ることで自分を表現でき、
その時間だけは、自分を嫌いにならずに済みました。
好きなサッカーをしている時間だけは、悩みを忘れられる。
汗を流し、仲間と笑い合うその瞬間が、私にとっての支えでした。

高校時代 ― 挫折と努力の日々

高校に進学しても、私は迷わずサッカー部に入りました。
けれど現実は甘くありませんでした。
入学早々、同級生の中から先発メンバーに選ばれる者が出て、
悔しさで夜眠れない日が続きました。
「自分は何をしているんだ」
「どうしてあいつだけが選ばれるんだ」
そんな愚痴や思いが頭の中をぐるぐると回っていたのを今でも覚えています。

それでも、サッカーを辞めようとは思いませんでした。
上手くいかない日でも、グラウンドに立ち、走り続けること。
その行為そのものが、自分を支える“生き方”になっていました。

2年生になる頃、ようやく努力が実を結び、
主力として試合に出られるようになりました。
仲間とピッチに立ち、ゴールを目指して走る。
その瞬間、これまでの悔しさが一気に報われた気がしました。
本当に、サッカーを続けてきて良かったと思いました。

けれど、そんな充実感の中で次に現れたのは――「大学受験」というとてつもなく大きな壁でした。
周りには、医学部や難関大学を目指す友人が多く、
私もその影響をもろに受け、「医学部を目指したい」と思うようになりました。

決して簡単な道ではないことは分かっていました。
それでも、諦めるのが怖く、自分から勉強をとってしまうと何が残るのだろうと思ったほどです。

なぜなら、努力をやめることは“可能性を自分で閉ざすこと”だと知っていたからです。
それは中学の頃からずっと、自分に言い聞かせてきたことでした。

今振り返ると相当やばいですよね、、(笑)

学校が終われば部活、終われば塾。
家に帰るのは夜の11時を過ぎることも多く、
食事を終えた後、机に向かっては何度も眠気と戦いました。

「頑張ればいつか報われる」と信じて無心で勉強を続けました。

けれど――現実はそう甘くはありませんでした。

共通テスト本番、点数は目標には遠く及ばず、
医学部の受験ラインにも到底届きませんでした。
結果を見た瞬間、頭の中が真っ白になり、
「自分の努力は何だったのだろう」「また一年浪人なのか」と絶望を感じました。

でも、あの挫折の時間があったからこそ、
私は“努力の本当の意味”を理解できたのだと思います。

私は、結果を出せなかった「うまくいかない側」の人間でした。
けれど、だからこそ分かることがあります。
努力しても報われない悔しさ、
それでも諦めずに続ける人の尊さ。

だから私は、
「結果よりも、そこに至るまでの過程をちゃんと見れる人間になりたい。」
――そう強く思うようになりました。

高校時代は、華やかな成功とは無縁でした。
けれど、そこで得たものは、
どんな資格や成績よりも大切な“人を思いやる力”だったと思います。

そしてその想いが、今の「人に寄り添う仕事をしたい」という夢へとつながっています。

大学生 ― 世界が広がった3年間

あれだけ憑りつかれているかのように医学部にこだわっていた私ですが、

担任の先生と家族の助言で、浪人せずに大学進学をすることになりました。

岡山大学に入学してから、世界が一気に広がりました。
地元を離れ、はじめて出会う人、土地、価値観。
そのすべてが新鮮で、刺激に満ちていました。

たくさんの友達ができ、サークルやアルバイトを通じて、多様な人と関わるようになりました。
それまでの自分は、どちらかといえば「限られた世界の中で頑張るタイプ」でした。
けれど大学では、自分と違う考え方や生き方に触れるたび、
「人ってこんなにいろんな形で輝けるんだ」と感じるようになりました。


無印良品でのアルバイト ― 人と働くことの意味

特に印象的だったのが、無印良品でのアルバイトです。
ここで初めて、「チームで働くこと」「お客様に喜んでもらうこと」の本当の意味を学びました。

社員の方々は一人ひとりの声を大切にしていて、
「どうすればお客様が心地よく過ごせるか」を本気で考えていました。
その姿勢に触れて、私は“働く”ということの意識が変わりました。

それまでは「自分のために頑張る」が中心でしたが、
無印での経験を通して、「誰かのために動く」ということにやりがいを感じるようになりました。
社会に出て働くというのは、自分の小さな世界を超えて、
誰かの生活の一部に関わることなんだ――
そんな気づきを与えてくれた大切な場所です。


サークル設立 ― 仲間と築いた“つながり”

大学2年のとき、仲間と一緒に新しいサークルを立ち上げました。
最初はほんの数人の集まり。
企画を考え、集客し、イベントを開催しても、思うように人が来ないことも多く、
正直「続ける意味あるのかな」と悩んだこともありました。

それでも、地道に声をかけ、仲間と何度も話し合い、
少しずつ輪が広がっていきました。
気づけば100人規模のサークルへと成長。

運営は想像以上に大変でしたが、
一人では成し得ないことが、仲間となら形にできる――
その実感が、私に「人を動かす力」や「つながりの大切さ」を教えてくれました。
この経験が、のちの私の“人との関わり方”の土台になっています。

社会の現場で感じた“生きる”ということ

大学3年生になってから、私はインターンとして社会の現場に関わる機会をいただきました。
大学の講義や教科書で学んだ知識とは違い、そこには“生きた現実”がありました。

働く人の背中には、それぞれの想いと事情がありました。
家族のために、夢のために、誰かを支えるために――。
その一人ひとりが懸命に日々を生きる姿を見て、私は心を揺さぶられました。
「生きる」という言葉の重さを、初めて真正面から感じた瞬間でした。

現場では、効率や結果よりも「人の思い」が何よりも大切にされていました。
誰かの笑顔のために早朝から動く人。
体が疲れていても、誰かの“ありがとう”一つでまた頑張れる人。
そんな人たちと接するうちに、私の中にあった“仕事”のイメージが静かに変わっていきました。

「働くって、人の心に触れることなんだ」
そう感じ始めていた頃、ある一組のご夫婦と出会いました。
それは、私の人生において忘れられない時間でした。


一組のご家族との出会い

ある日、インターン先で訪問したお宅で、ご家族とお話しする機会をいただきました。
初めて訪れたその日、私は少し緊張していて、言葉もぎこちなかったと思います。
でも、ご家族はとても穏やかで、あたたかい笑顔で迎えてくださいました。
その瞬間、胸の奥にあった緊張がゆるみ、心がほっと温かくなったのを今でも覚えています。

ご主人は耳が聞こえず、手話で会話をされていました。
私は手話ができず、どうやって意思を伝えたらいいか分かりませんでした。
でも、紙とペンを使って一文字ずつ想いを伝え合ううちに、
次第に言葉ではない“何か”が通じ合っていることを感じました。

そのやり取りは、とても静かで、でも心の奥に強く響くものでした。
「伝えたい」「理解したい」――その気持ちさえあれば、
人は言葉を超えてつながれるのだと実感しました。

ご家族は、自分たちのことよりも、いつも周りの人を思いやって生きておられました。
誰かのために時間を使い、誰かの笑顔のために手を動かす。
その姿は、まっすぐで、たくましくて、まるで一本の芯のように感じられました。
「本当の強さとはこういうことなんだ」と心の底から思いました。

帰るとき、ご主人は何かを一生懸命伝えようとしてくれました。
けれど、私はその手話を理解できません。
どう返したらいいか悩んでいたとき、ふと無印良品で学んだ「ありがとう」の手話を思い出しました。

私はゆっくりと、その手話をしました。
すると、ご主人の表情がぱっと明るくなり、
「手話、少しできるの?」と目で伝えてくださったのです。
その笑顔があまりにも嬉しくて、胸が熱くなりました。

ほんの一瞬の出来事でした。
でも、その短い瞬間に「心が通じた」と感じられたことが、
私にとって何よりも深い喜びでした。


私は大学に入学してからずっと今でも考え続けています。
「自分はどう生きたいのか」
「何のために働くのか」

まだこの記事を書いている時も答えは見つかっていません。でも、

――“人と小さな幸せを共有できる人になりたい”

この想いはずっと僕が憧れていることです。

誰かを助けたいとか、大きなことを成し遂げたいわけではありません。
ただ、目の前の人の心にそっと寄り添い、
その人が少しだけ楽になったり、笑顔になれたりするような、
そんな存在でありたいと思いました。

あの日、ご家族から感じたあたたかさや私の家族の優しさ、何事も後押ししてくれる頼もしさ、
そして周りの関わってくださっているみんなの“生きる姿”そのものが、
今の私の価値観の根っこになっています。


そしてこの想いこそが、後に「よりそう君」という活動を始める大きなきっかけに繋がりました。

なぜMEOに特化したのか

きっかけは、インターンでの経験でした。
現場で多くの地域の方々と関わる中で、私は強く感じました。

それは――
「どれだけ誠実に頑張っている人でも、知られなければ報われない現実」があるということです。

小さな店舗を営むご家族が、誰よりもお客様を大切にしているのに、
ネット上ではその想いがほとんど出ていない。
情報の壁があるだけで、本当の価値が見えなくなってしまう。

その現状に出会ったとき、私は決意しました。
「自分の学びを、人と地域の“つながり直し”に使いたい」と。


学びを“地域に還元する”という選択

現在、私は岡山大学工学部で、化学やAI講習など中心に学んでいます。
AIのアルゴリズムやデータ分析、機械学習などを通して、
“情報をどう活かすか”を考える力を磨いてきました。

この知識を、ただ自分のために使うのではなく、
地域社会の中で頑張る人たちのために還元したい。
それが、私が「よりそう君」に込めている一番の想いです。

また、インターンを通して学んだのは、
SEOやMEO、SNSマーケティングなど、情報発信の技術が

「人と人の出会いをつくる力」になるということでした。

お店を探している人と、想いを込めて働く人。
その二つの“想い”をつなぐのが、デジタルの力です。


AIやMEO、SNSの知識は、冷たい仕組みではなく、
“人の温かさを伝えるための道具”になり得る。
私はその可能性を信じています。


「よりそう君」に込めた意味

「よりそう君」という名前には、二つの願いがあります。

ひとつは、お客様に寄り添う姿勢。
数字やデータだけでなく、現場で汗を流す人たちの想いを理解し、
一緒に課題を考え、行動していく。

もうひとつは、地域の人と人とを近づける存在でありたいという願いです。
インターネットの世界がどれだけ進化しても、
最後に心を動かすのは、やはり“人”の温もりです。

私は、AIやMEOといったデジタルの力を使いながらも、
その根底には常に「人に寄り添う」姿勢を忘れたくないと思っています。

これから ― 夢とビジョン

私が目指すのは、“情報に強く、心に優しい地域社会”です。

MEOやSNSの力で、小さなお店や地域の事業者が
「見つけてもらえる」「信頼される」ようになる。
「人と人がよりそう社会」がつながっていく。

そんな未来を形にしていきたいです。
それが「よりそう君」という活動の軸です。

私は、困っている人に“何かをしてあげたい”のではなく、
その人の隣に立って“一緒に考える存在”でありたい。

これから出会うすべての方との出会いを大切に、
あなたの小さな悩みや喜びを、共に感じ、共に進んでいけるような存在でありたいです。

“あなたらしさ”を伝えるお手伝いをさせてください。

もし、あなたが少しでも「この人と話してみたい」と思ってくれたら、
ぜひ気軽に声をかけてください。
もし、どこかであなたと出会えたときは、
その出会いをひとつひとつ丁寧に、心を込めて大切にしていきたいと思います。


最後に

もしかすると、21歳が少し生意気に語りすぎたように聞こえたかもしれません。
すみませんでした。

偉そうに書いてしまいましたが、

『人と真剣に向き合い、信頼を積み重ねていくこと』に関しては、誰にも負けたくありません

まだ道の途中ではありますが、
目の前の一つひとつの仕事に真摯に向き合い、
信頼される人間として成長していきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。